大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」42(社会部編18) 安富信

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印刷業者惨殺、犯人は元近畿大生

「よく、昔のことを覚えているね」とこの連載の読者に会うと言われ、自分でもよく覚えている!と自負していた。ところが、40年前から30年前に時代が今に近づくにつれて、記憶が曖昧な点が多々出て来た。典型的な老化現象なのだろうか?

 2年半の一課担史上、最も印象的でかつ特ダネになった事件について記憶が違っていた。前回、一課担になって初めての大きな事件は、現職警察官による強盗殺人事件だと書いたが、違っていた。一課担になったばかりの平成元年(1989)4月10日に最大の事件が起きていた。元近畿大学生による印刷業者惨殺事件だ。なぜ記憶が曖昧になったかは容易に想像できる。この事件の面白さは発生そのものではなく、解決の過程が特殊だったからだ。結論を言おう。発生から約半年後、大阪読売新聞社会部の記者2人が逃亡先のハワイで犯人を見つけ、説得の末に逮捕に至ったからだ。事件の概要はこうだ。

4月10日午後3時20分ごろ、大阪府東大阪市荒川の印刷所経営の52歳の男性が自宅兼事務所の1階で、首筋をはじめ全身10数か所を鋭利な刃物で刺されて殺害され、2階で後ろ手に手錠をかけられた妻とそばに中学1年生の長男と祖母がぼう然としているのを訪れた親類の女性が見つけた。大阪府警捜査一課と布施署の調べで、前夜、覆面をした若い男が押し入って約13時間半も居座り、奪った通帳などで415万円を銀行から引き出していたことがわかった。捜査一課は強盗殺人、逮捕監禁容疑で捜査本部を設置。犯人は家族3人を監禁し、長男にはこの朝、「学校では何もしゃべるな。言えば母親を殺す」と脅して中学に送り出すという異常な犯行だった。

元近大生が起こした壮絶な殺害事件を報じる読売新聞

 犯人は直ぐに判明した。男は犯行後、奪った通帳を使って大阪市中央区内の銀行の窓口で415万円を引き出している姿が店の防犯ビデオに写っており、捜査本部が公開したところ、東大阪市内に住む元近畿大学生(当時21歳)とわかった。元近大生は同大の文科系サークルを統括する文化会総務(10人)の1人で、出入りしていた印刷業者の不正を許せず、凶行に及んだ。捜査本部は19日に元近大生を強盗殺人容疑などで全国に指名手配し、事件は早期解決するはずだった。しかし、元近大生は海外逃亡したようで、解決は先延ばしになっていた。

犯人は直ぐにわかった

「逃亡生活疲れた」と国際電話、記者はハワイへ

 この膠着状態を破ったのが、10月初旬に元近大生が実家にかけて来た国際電話だった。電話には母親が応答した。わずか数分間の通話だったが、ハワイにいることを伝え、「逃亡生活に疲れ、里心がついた。近いうちに決着をつけたい」と話したという。この情報を東大阪支局の真木明記者が仲の良い布施署員から聞き出し、何度も取材に行って顔見知りになった元近大生の家族から確認を取って、10月10日付の社会面トップ記事にした。

ハワイにいることがわかった元近大生

 ここからが、大阪読売社会部の真骨頂だ。四ノ宮府警キャップは直ぐに塚田社会部長に直談判し、記者2人をハワイに派遣することが決まった。1人はもちろん、国際電話を抜いた真木記者。もう一人は、筆者は行きたかったが、残念ながら、後輩の味谷和哉記者が行くことになった。さらに、駿河一課担キャップは味谷記者らに「ええか、元近大生は本好きや。きっとハワイの本屋に来る。それも英語がでけへんから、日本語書店や」とアドバイスした。

日本書籍専門店で張り込み 犯人を説得

 流石、独特の勘を誇る駿河キャップの助言だ。ハワイに到着してすぐに日本書籍専門店を張り込んでいたら彼は現れた。ハワイと大阪の時差は17時間。ハワイの午前10時は、大阪で翌日の午前3時。味谷記者から府警ボックスに興奮した声で電話が入った。「来よりました。目の前にいます」

「○○さんですね。話を聞きたい」「君のことは全てわかっている」。声をかけると、ジーパンにスニーカー姿で買って間もないサイクリング車で来た元近大生は観念した様子で「場所を変えましょう」と向かいの中華料理店へ。「なぜやったのか?」の問いにサングラスをかけたり外したりしながらやや間を置いて、「それを話すと長くなる」とポツリ。2日間に渡る長い説得とインタビューが始まった。
 逃亡189日、偽名で観光を装って安宿を転々としていたと言い、見つかったことに少しほっとした様子だったが、米司法当局に引き渡されることには反発、1日目の説得では応じず、「一旦ホテルに帰って考える」と言った。味谷記者らは迷ったが、元近大生が「必ず、明朝も来る」と言うのを信じて帰した。これを聞いた大阪留守番組の四ノ宮キャップ、江崎サブキャップ、駿河一課担キャップ、筆者の4人は声を荒げた。「何でや! なんで帰すんや!」と。しかし、後の祭りだ。翌日、彼が来るのを祈りながら、こちらの捜査一課長とも連絡を取り、捜査本部はインターポールなどを通じて、米司法当局と連絡を取り合った。身柄拘束まであと1日が期限だという。
 2日目、彼は時間通りに来た。そして、説得に応じてアメリカの捜査当局に出頭すると話していたその時、米司法当局の捜査官男女2人が当初の約束を破って身柄を抑えに来た。びっくりする2人の記者と元近大生の抗議にも女性捜査官は「エニウエイ」を繰り返すばかり。連行された元近大生が振り返り、「味谷さん、裏切りましたね」と吐き捨てた言葉が、味谷記者の頭の片隅にずっと残ったという。
 ともあれ、大阪読売社会部の見事な特ダネだ。10月16日朝刊1面トップで「印刷業者殺し ハワイで逮捕」「本社記者が帰国説得」「部費不正に憤り 米逃亡6か月」と報じ。第1社会面、第2社会面見開きで、「偽名の逃亡189日」「観光装い安宿転々」「一問一答 米警察怖くなかった」と詳細なインタビュー記事、本好きな彼が「きっと来る」と張り込んだ経緯や思惑通り元近大生が日本書籍専門店に現れた様子を詳しく書いた。そして、移送の帰国の日航機内で捜査本部員に逮捕された。

ハワイで発見されて逮捕されるまでの一連の読売大阪の記事

お手柄記者2人はテレビに転職

 当に、読売新聞の独壇場だった。当然、取材班に編集局長賞が出た。しかし、このお手柄の味谷、真木両記者はその後、読売新聞を相次いで去ることになる。この事件は直接関係ないかもしれないが、思うところがあったのかもしれない。味谷さんは東京のフジテレビに入社し、ドキュメンタリーを手掛け、名ディレクターと呼ばれた。現在は子会社の執行役員をされていて、9月初めに会社に電話すると、折り返しで携帯にかかってきて、「安富さん、久しぶりですね。30年ぶりぐらいかな?」と昔と同じように大きな声の大阪弁で近況や昔話に花が咲いた。
 真木さんはTBSに入社し、JNNロサンジェルス支局長などを歴任。サッカーW杯でアルゼンチンからレポートしているのを見た時、電話をしたのを覚えているが、その後の消息は知らない。残念ながら。と書いたら、この風まかせのスタッフから情報をいただいた。その後、ドキュメンタリー番組のプロデューサーを務めているそうです。

短いスカートの新人記者

 と、ここまで書いてきて、非常につまらないことを思い出した。この事件はやはり、春先に発生したのを。なぜなら、当時、東大阪支局に入社したばかりの女性記者が入社研修の一環として来ていた。この事件が発生した時にも彼女はいて、殺人事件の取材などもちろん初めてなので、我々のあとについて聞き込み取材などをしていた。なんで、思い出したか? 本当につまらない事で申し訳ないが、リクルート姿だったが、彼女はなぜか短めのスカートだったからだ。そのことはよく覚えている。そのH記者はその後、京都総局で短期間だけ筆者と一緒に仕事をしたことがあるが、彼女も読売を早期退職し、今、大阪府内の私立大学で教授職にあるという。知らんけど。(つづく)

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