映画の舞台「ドンバス」で拉致されかけた思い出 佐々木正明

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当時は産経新聞社の特派員。ロシアのクリミア併合を受けて、ドネツク州、ルガンスク州の東部2州の情勢が不安定化したため、支局のあるモスクワから移動し、この地の状況を取材していた。

ウクライナ、ロシア、ベラルーシのスラブ3国にそれぞれルーツを持つ鬼才セルゲイ・ロズニツァ監督の『ドンバス』を見て、真っ先に脳裏に甦ったのは、ドネツクでの滞在中にあやうく拉致されかけ、心臓がバクバクした苦い思い出だった。偶然の奇跡が重なって逃れたのだが、今でもあの恐怖を忘れることはできない。

武装勢力が蜂起して、現地は国家権力の空白地帯となった。私は無政府状態の中で社会秩序が暴力によっていとも簡単に崩壊していく過程を目の当たりにした。

歴史が複雑にからみあうロシア・ウクライナ戦争

映画『ドンバス』には、あの混乱を経験した者であれば、すぐに理解できるような戦争への伏線や暴力や不正を是とする者たちへの批判と皮肉がふんだんに盛り込まれている。ロズニツァ監督は細かい描写や演者のセリフのなかに、親玉のプーチン大統領のこの地域の征服企図を盛り込んだのである。

舞台の背景にとらえられた「親ロシア派地域」や「分離独立地域」とはいったい何なのか?ドンバスにプーチン大統領のロシアはどのように絡んでいるのか?そして、ファシストやナチスにまつわるエピソードがなぜ映画に登場するのか?

今回のロシア・ウクライナ戦争には、第二次大戦時のナチスドイツの侵攻と、その後のモスクワによる半世紀による支配、そしてソ連邦崩壊という歴史の糸が複雑にからみあっており、この歴史的な背景を知るには、外国人にとっては多くの勉強時間を要する。

ましてや、遠く離れた、ウクライナと縁もゆかりも乏しい日本では、ドンバスの住民が持つ共通認識や悲運をイチから理解するのは、さらに困難であろう。

ウクライナ東部・ドンバス、8年前の経験

映画『ドンバス』のネタばれにならないように注意を払いながら、2月24日に始まったロシア・ウクライナ戦争の本質を問う、この傑作の本質を深掘りしたい。そのために、私自身が味わった8年前の苦いエピソードを披露したいと思う。

2013年秋、ウクライナの欧州連合(EU)加盟をめぐって、ウクライナ国内は割れていた。EU加盟国ポーランドやハンガリー、チェコに近いウクライナ西部地域はEU推進派であったが、一方で、東部地域では、国境をはさんでロシアとの地縁的なつながりが濃密で、引き続きロシアの経済圏に止まるべきだという住民が少なくなかった。

2014年2月、ドンバス出身で、プーチン大統領との個人的な関係を築いていたウクライナのヤヌコビッチ大統領がキーウの大統領府から追放されると、国内は一気に流動化する。その直後に、プーチン政権は闇夜にまぎれて、南部の要衝クリミア半島を支配下に収めることに成功した。東部地域も密かに工作員や軍部隊を送って、キーウのコントロールができなくなるように、仕向けていた。

私が初めてドンバスを訪れた4月には、まだ住民が「クリミアのようにロシアに編入を」という平和的なデモ行動が行われており、モスクワからの直行便で入ることができた。

ロシア語話者が多いこの地域は、ウクライナ語話者の多い西部地域に比べて、住民のアクセントもロシア訛りで、私にとっては言葉が聞き取りやすかった。正教会の教会もあちこちにあって、ロシア国内の牧歌的な地方都市の風景とまったく変わりはなかった。

降り立ったドネツクの国際空港は2年前のサッカー欧州選手権で整備されて、最新鋭の設備が施されていた(その後、空港は戦闘で木っ端みじんに破壊された)。当時、おしゃれなカフェやレストランも営業していたし、サッカースタジアムでは、欧州チャンピオンズリーグの試合も行われていた。

庁舎が親ロシア派に占拠される

しかし、私が10日間にわたり、滞在している間にも、日に日に状況はおかしくなった。ドネツク州庁舎は知事や役人らが追い出され、「親露派」の人々が占拠するようになっていた。

映画『ドンバス』にも、庁舎が占拠される様子が映し出されている。親露派の住民は州幹部を追い出して、これでまったくウクライナの行政組織が機能しなくなった。

州庁舎入口には、ウクライナ側治安部隊の奪還を阻もうと、バリケードがしかれ、中に入るためには武装要員の許可が必要になった。私も親露派幹部のインタビューをしようと、何度か庁舎内部を訪れたが、室内は大混乱していた。親露派の人々が勝手にオフィスを使って、幅を利かせていた。

映画では結婚式の様子が描かれるが、これはいうなれば、彼らが主張する新しい国家の元での結婚登録であり、ウクライナの制度ではないことへの皮肉がこめられている。

電波ジャックされ、ロシア国営放送が流れる

滞在中、今度は、電波塔が何者かにジャックされた。もちろん、ロシアFSBの工作員による仕業であることは間違いない。これでドネツク州、ルガンスク州のほとんどの地域では、ウクライナのテレビ放送を見れなくなった。

代わりに放送されたのは、ロシアの国営放送である。クレムリンの情報統制がかかったロシアからのニュースは、キーウの新政権がいかに暴力的なのか、いかに非合法なのかが盛んに報じられた。

ドネツク州庁舎には大音量で放つスピーカーが置かれ、ロシア国営放送の番組が放映された。ドンバスの地域では、ロシア語をほとんど理解できる。キーウの新政権を全否定するロシアのプロパガンダの報道ぶりが、この庁舎前に集まる住民を次第に洗脳していった。

街には、自動小銃を持った軍服姿の兵士の姿も目立つようになった。映画『ドンバス』では、ドイツの報道クルーが、兵士に「出身はどこか?」と尋ねると、それに答えない者たちの様子をとらえる場面がある。

彼らは、国境を越えてやってきたロシア軍の兵士であり、地元の義勇軍の部隊に混じっていることを暗に示しているのだ。プーチン政権は当時、ウクライナ側に兵士などは送っていないと否定していた。

占拠された検察庁舎前、「ロシア、ロシア」の大合唱

州庁舎の次に襲われたのは検察庁の庁舎だった。5月上旬のある日、検察庁庁舎は目だし帽をかぶった武装集団に占拠され、中にあった書類という書類が全て焼かれた。ウクライナの国旗は取り払われ、武装集団が祝砲を上げると、住民が集まってきて、歓喜の声をあげた。

私もその住民の渦の中にまじって取材したのだが、人々は武装集団が祝砲を上げる庁舎の前で、「ロシア」「ロシア」と大合唱していた。私は必死になって写真を撮り、スマホで動画を撮影した。生々しい現場からの報告について、産経新聞は一面トップで報じた。

これで、今度は、ドネツク州の司法機能が失われた。殺人や強奪などが起こった際にも捜査したり、立件して裁判にかける機関が存在しなくなった。

検察庁庁舎のまわりにいた住民に取材していた際に、初老の男性から「こいつは日本からきたジャーナリストだ。アメリカの息がかかったスパイかもしれない。用心しろ!」と言われた。この掛け声の後で、私のまわりにたくさんの住民が集まってきたが、ほとんどの住民がその男の告発を無視し、「日本にもドンバスの様子を伝えてくれ」と私に懇願した。

しかし、私は内心、ヒヤヒヤしていた。鋭く睨みつけるこの男の視線が怖かった。もしかしたら、自分のパスポートや金品が奪われるかもしれない。住民たちが私に関心が薄れていく隙を見計らって、私はその場から逃げた。

住民のウクライナ政府への不信

「ロシア」「ロシア」と叫んでいた住民たちがなぜ、EUではなく、モスクワの経済圏に止まるべきと考えているか気になった。私が聞き出すと、それはキーウの政治家たちの政治腐敗ぶりが大きく関わっていることがわかった。

住民たちは「独立後、キーウは私たちのために何もしてくれなかった。もうこんな国はうんざりだ」「あいつらは税金ばかりをまきあげ、私たちには還元してくれない」「国境の向こうのロシアは発展している。私たちの地域はロシアに編入されるべきだ」と言っていた。

なぜ、ドンバスがロシア側に支配されるようになったのか。これは、住民たちの中央政府への不信感が渦巻いていたことが影響している。

確かに、ドネツクやルガンスクを車で回っているときに気付いたことがあった。まず道路が悪い。都市の中でさえ、アスファルト舗装されていないところもある。聞けば、独立後も一度も舗装されていないという。映画の中にも、水たまりの広場や悪路の道がいくつも登場する。

ウクライナは1人当たりGDPだと世界でも120~130位ほどで、アフリカ諸国よりも低い。ロシアとの関係の深い人々の不満が、ウクライナ中央政府管轄の離脱への希求につながり、それが親露派勢力の大きな束になっていることがわかった。

写真撮影中、不良少年らに取り囲まれる

今度はあるとき、公園で写真を取っていると、10代後半の不良っぽい1人の少年が私を呼び止めた。「お前は何をしているんだ?」。私はロシア語がわからないふりをしていたら、その少年は近くにいた仲間によびかけ、「こいつ、写真を撮っているぞ。しょっ引こうぜ」と叫んだ。

「あっ、私はこのまま拉致されるかもしれない」。その時、一瞬、脳裏によぎったこの恐怖が今でも忘れられない。用心しているつもりだったが、目立つような行動をしてしまい、ミスったのだ。「ぼこぼこに殴られ、何もかも奪われるかもしれない。いや、人質となり、会社に迷惑をかけるかもしれない。家族にも申し訳ない」。どんどん不吉な予感がわいてきた。

それもそのはずで、当時、何人か外国人ジャーナリストが行方不明になる事案が相次いでいた。

仲間が私を取り囲んだ。複数の人物が私の腕を取り、どこかに連れて行こうとする瞬間だった。私から100メートルほど離れた場所にいた、30代ぐらいの子ども連れのお母さん集団のうちの1人の女性が、その不良少年たちに警告した。

「あんた、何やっているの?その人は観光で来ているのよ。やめなさい」

一瞬、不良集団はたじろいだが、今度は別のお母さんが「やめなさい」とまた叫んだ。

私はその言葉で助かった。少年たちは去っていった。私はお母さんたちにお礼を言った。

お母さんたちは不良少年たちのことを知っているようだった。この混乱に乗じて、彼らが金品を掠めとったり、ウクライナ語の看板を壊したりしていると嘆いていた。お母さんが彼らを咎めなければ、間違いなく、私は何らかの被害に遭っていたはずだ。

まとわりつく中年男の視線

不穏な空気は次第に高まっていた。

夕暮れ時、州庁舎のまわりに何度か行き、ここに集まる人々の話を聞いていた。すると、背後に私のことをにらむ中年の男がいることがわかった。その男の視線はまとわりつくように私から離れなかった。男は私に近寄り、声をかけてきた。「お前、何している?」

彼はそばにいた自動小銃を持っている兵士のもとに私を連れていき、「こいつは、スパイだ。さまざまな人たちを盗撮している。調べてくれ」と言った。

兵士に、肌身離さず持っていたCanon製の一眼レフカメラを取り上げられた。たまたま、それまで撮った写真はすべてハードディスクに保管しており、モスクワに暮らす家族の写真しかカメラの記録カードには保存されていなかった。「私はモスクワから来た記者で、不審なことは何もしていない」と必死に訴えたら、この兵士は私を開放してくれた。

私のことを疑う中年男はそれでも兵士に「庁舎の中に行って、この東洋人を調べた方がいい」などと訴えていたが、兵士は戦闘で疲れ果てていたのか、もう私に関心を持たなかった。私は恐怖で、心臓を誰かに鷲掴みされるような感覚だった。すぐにこの場から去ったが、男の視線は現場を去る最後まで私をとらえていた。

映画『ドンバス』では1人のウクライナ軍兵士が、住民からリンチされるシーンがある。鑑賞しながら、あのシーンはもしかしたら、私が標的だったかもしれないと考えた。私が滞在したのは8年前だったから、まだ平和的で、さらに状況がきな臭くなっていれば、その時は私も同じようにリンチを受けていたかもしれないと思った。

不良少年たちや私のことを「スパイ」と疑った男たちが、映画の演者の姿に重なった。

映画「ドンバス」© MA.JA.DE FICTION / ARTHOUSE TRAFFIC / JBA PRODUCTION / GRANIET FILM / DIGITAL CUBE

戦争は人間の良心や尊厳を麻痺させる。憎しみや怒りが募り、普段はきわめて理性的で至極真っ当な振る舞いをする常識人さえも変化させる。安全を保障する軍や治安機関の効力が失われると、暴力が次なる暴力を呼び、事態がさらにエスカレーションしていく。

私はドンバスでその過程を目にしたのだと思う。

映画『ドンバス』はそれから、2~3年後の舞台を描いている。ロシアは国境を越え、武器を親露派勢力に供給し、兵士や工作員も派遣した。プーチン政権は社会秩序を失った街の混乱と、人々の感覚が麻痺した状況につけこみ、ウクライナの領土を蹂躙したのである。

映画公開は2018年という。それから4年後にプーチン大統領は軍部隊を派兵し、すさまじい数の砲撃を繰り返している。

しかし、ロズニツァ監督でさえ、今回のプーチンの戦争は映画撮影時に危惧した最悪の想定パターンのはるか斜め上を行ったのではないか?。

ドンバスはロシアとウクライナの攻防の最前線にある。その地位の行方は世界の未来をも決めかねない。映画は実際のエピソードをもとに制作されているという。ロズニツァ監督の渾身作は我々に、プーチンの蛮行が何だったのかを如実に示しているのだ。

ささき・まさあき
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授、元産経新聞モスクワ支局長

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