大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」20(京都編6) 安富信

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若手記者、「血判状」で直訴

6月の蒸し暑い夜だった。京都市上京区の後輩Mさんのマンションの一室。京都支局の若手が6、7人集まっていた。口角泡を飛ばして口々に叫んだ。「こんなん、おかしいやん!」「そうや、そうや、間違った記事書いたからって飛ばされてたら、体なんぼあっても足りへんわ」「Nさんなんか、斎藤デスクの指示通りのことしただけやん。それなのに、斎藤デスクが責任取れへんのおかしいし、H本デスクもおとがめなしはおかしい!」「地方部長に直訴しよう!」。なんだか物騒な話し合いである。
そして、この時集まった血気盛んな若手記者たちは、連帯感を示すために直訴文書に署名し「血判」を押したのだ。いわゆる「京都支局血判事件」だ。筆者はこの事件を忘れていた。この連載を始めて数か月後に後輩の現役記者に聞かれた。「安富さん、あの血判事件の時、京都にいたんですか?」。「血判事件?」。一瞬詰まったが、思い出した。「ああ、いたよ。首謀者の1人やったな」。彼は複雑な表情を浮かべた。あの事件って、こんな風に後輩たちの間で語り継がれてたんや! 変な感慨に包まれた。
事の始まりは京都で混迷の度を深めていた古都税紛争だ。昭和60年(1985)に京都市が市内にある有名観光寺院の拝見料に税金をかけようとしたことで、清水寺や金閣、銀閣寺が加盟する京都仏教会が猛反発し、拝観を停止(寺の門を閉じて観光客を入れない措置)して抵抗を続けてきた。ある時は和解して開門、また決裂して閉門するなどして紛争は1年半以上も解決の糸口も見出せなかった。
そんな中、発覚したのが、京都市左京区にある大雲寺の国宝・梵鐘(ぼんしょう)の蒸発事件。京都府警は翌61年1月16日、元大雲寺住職と不動産会社社員ら2人を国土利用計画法違反と文化財保護法違反(隠匿)などで逮捕したが、その背後に古都税に強く反対していた京都仏教会の主要なメンバーと西山正彦氏らが介在していた。当時、梵鐘の真の所有者とされたのは西山氏で同市左京区にある蓮華寺の当時のY副住職らと一緒にこの日、事情聴取されていた。

国宝の梵鐘蒸発事件に関連する一連の報道

翌日、京都府警は西山氏とY副住職に対し逮捕状を取った。事情聴取に対して、西山氏は「経営が悪化した大雲寺を放置しておいては日本の宝である文化財が散逸してしまう。このため梵鐘と秘仏の十一面観音などを買ったが、梵鐘の移動は部下がやり、私は知らない」と、Y副住職は「梵鐘などを預かったのは事実だが、単なる保管で隠匿の意思はなかった」と供述した、という。ところが、関係者からの事情聴取の結果、西山氏らは古美術商などに「どれぐらいで売れるか。2億円ならどうか」などと値踏みさせていたことが判明した。しかし、西山氏らの逮捕は先送りされた。
さらに、4月になって、この梵鐘が昭和60年10月の26日間、右京区太秦にある聖徳太子ゆかりの名刹・広隆寺に保管されていたことがわかり、同寺が文化財保護法違反容疑で捜索される事態に発展。同寺のK貫主も事情聴取された。K貫主は当時、京都仏教界の理事で古都税紛争に深くかかわっていただけに、マスコミの報道はさらに過熱化した。この事件は結局、2か月後の6月上旬に西山氏やK貫主らが書類送検されることで、幕引きが図られた。この書類送検を地元紙の京都新聞夕刊に抜かれたことが、“悲劇”の始まりだった。

支局デスク押し切られる、「有馬師書類送検」誤報

その夜のことは、よく覚えている。松ちゃんをはじめ府警グループは京都新聞の記事の後追いをするために、京都府警幹部の夜回りを続けていた。筆者は支局にいた。なぜか、新聞社って抜かれた時、担当記者を追い詰めて、早く書け、書けと言わんばかりに急き立てる。不思議だけど、多分、いじめの構図だ。その日も当にその状況だった。本社地方部に京都の事情に詳しいデスク(というか、この春まで京都で宗教を担当していたN尾さん)が急き立てる。なんで? それまで支局にいたときは、そんな人やなかったのに、専用線と呼ばれた本社と支局を直通する電話の向こうから、N尾さんの大きな声が聞こえてくる。こちらで受けるのはH本デスク。彼は府警本部との電話と本社との専用電話、両方を持っている。

㊧名刹・広隆寺が捜索される ㊨問題となった有馬師書類送検の記事

N尾地方部デスクは「単に追いかけるだけでは、読売の名折れだ。せめて独自色を出せよ。例えば、有馬師は書類送検されていないのか?」。支局のH本デスクは松ちゃんに聞く。「有馬師は入っていなのか?松ちゃん」。松ちゃんは言った。「それ、裏が取れません」。H本デスクは言う。「そうか? でも、当然、有馬師は入っているよな?」。「いえ、確認が取れません」。地方部との専用線からN尾デスクが繰り返す。「そら当然、有馬は入っているよな」。
「行くよ。有馬師を含めて書類送検されたのは10人と」と地方部。京都支局側も「行きましょう。府警グループも確認取れました」。確認は取れていなかった。翌日の紙面は第2社会面2段の記事。見出しは「西山社長ら書類送検 国宝梵鐘事件 広隆寺貫主も」。有馬師に関する記述は最後の4行に入った。「また、有馬局長は、梵鐘が国宝と知りながら、同美術館に運ばれるのを黙認、隠匿に協力した疑い」と。作文だった。
長年記者をやって来た今ならわかる。危ない!そんな時が一番危ない! 斎藤デスクは飲みに行ったのか支局にいない。支局長はTさんからY川さんに代わっていた。このY川支局長が持っていない。H本デスクも本社のN尾デスクも持っていない。関西弁で言う「ビビンチョ」だった。役者が揃った。やはり有馬師は書類送検されていなかった。が、しばらくは何事もなく流れた。

コメントを作文「社会部ではよくあること」

遡ること半月ほど前の6月18日夕刊、Nさんの渾身の特ダネが社会面トップを飾った。横見出しで「梵鐘疑惑許せない」。縦見出し凸版で「相国寺法堂修理待った」「文化庁補助金出さぬ」「隠匿晴れるまで」。堂々の特ダネだ。裏付けは完璧だし、タイミング的にも完勝だった。梵鐘事件に関与しているとみられる人物が、京都市上京区にある臨済宗相国寺派の相国寺の承天閣美術館局長を務めていることで、文化庁が同寺法堂の修理に対して、国の補助金の支出を認めないという。見事な記事だ。

㊧見事な特ダネだったが ㊨仏教会のフィクサー・西山氏

しかし、好事魔多し。最後の有馬師のコメントは、夕刊の早版段階では有馬師がつかまらなかったので、斎藤デスクが「予想されるコメントを書いて」と言ってNさんが書いた作文だ。そのまま夕刊の早版に掲載されたが、有馬師の生コメントではなかった。多くの読者には信じられないだろう。コメントの予定稿とも言えるものだが、筆者が見たのも後にも先にもこの時だけだ。夕刊最終版直前に生のコメントに差し替えたのだが。斎藤デスクは事も無げに言ったという。「たいしたことではない。社会部ではよくあることだよ」。

仏教界の揺さぶりで若手2記者「左遷」

しばらく何事もなく過ぎた。ある日、どうも支局内の雰囲気がおかしい。支局幹部たちがひそひそ話をしている。漏れ聞こえてきた言葉が「過激派弁護士」「仏教会」「国宝展」「異動」、、、だった。幹部は黙して語らない。その夜、斎藤デスクを誘い出し、真相を聞いて愕然とした。
N先輩とⅯっちゃんが季節外れの異動になるらしい。それも、本社の整理部へ。非常に失礼な言い方だが、当時の若手記者にとって、整理部行きは左遷人事と受け止めた。その裏には何があったか? 斎藤デスクは包み隠さず話した。京都仏教会に最近、新左翼系の弁護士が付き、仏教会を攻撃する記事を連発している読売新聞に対して、対抗措置を取ろうとなった。そこで、これまでの記事を洗い直して、事実でないことや間違いを探し出した。その網に引っかかったのが、Nさんの有馬師のコメントと、府警キャップの松ちゃんがゴーサインを出したとされた「有馬師書類送検」の件だった。
仏教会は大阪本社に揺さぶりをかけた。2つの記事を「名誉棄損で訴える」という。それから先のことははっきり裏が取れていないが、結局、訴訟は起こされなかった。代わりに、Nさんと松ちゃんの異動が決まった。有馬師は仏教美術の鑑定に於いてわが国でも最高峰の人物だった。読売新聞が数年後に開催を企画していた「国宝展」か「名宝展」かの重要人物だという噂が流れ、若手記者たちは邪推した。2人を飛ばすことで決着したのだと。その後が、冒頭のシーンである。

若手記者の反乱、スパイ通して筒抜け

若手記者たちの反乱だったが、支局幹部にすぐにバレた。古都の歴史的事件「鹿ケ谷の陰謀」に準えて「上京の陰謀」と言われた。スパイがいたのだ。地方部長への直訴、血判まで全てが筒抜けだった。それでも、当時のW地方部長(この人は大阪読売に外様で入り、特ダネを連発した立志伝中の名物部長だ)は、若手記者の話を聞きに京都に来た。支局に来てすぐに「飲みに行こう」と筆者ら数人を誘って出た。びっくりしたY支局長がついてきた。1軒目の店で、W部長は「Y支局長、うっとおしいから撒け」と言った。2軒目の店にY支局長はたどり着けなかった。そこで、W部長は若手記者らの話をじっくり聞いてくれた。
その時言われた言葉が耳に残っているし、痛かった。「君ら、Nさんと松本君を飛ばしたというが、整理部に失礼やないか?オレは彼らの力が整理部で必要だから、異動させるのだ」。嘘くさいが正論である。W部長を京都まで呼び出したということで、なぜか溜飲が下がっていたこともあって、ぐうの音も出なかった。完敗である。騒ぎは収まった。何も変わらずに。いや、一つだけ筆者にとって大きな変化があった。筆者は大学から宗教担当になった。(つづく

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