水野阿修羅(釜ヶ崎在住)
本音と建て前の東京から大阪へ
「北風アウトサイダー」はわたしにとってあらためて在日コリアンとの関係を問う。
わたしは在日コリアンが好きだ。感情を隠さず、ハッキリとものを言う人が多いからだろう。
少年時代、東京にいたわたしは日本人の上流社会(?)の裏表のある表現に嫌な思いをさせられてきた。中学校の時、栃木県から東京に行ったので、言葉のイントネーションが違い、「かっぺ=いなかもの」ということばを知り、それを陰でいう東京人をたくさん見た。大阪人のことばを馬鹿にする東京人もたくさん見た。縁があって京都に移り、大阪に移った。京都は東京と似てて、本音と建て前を使い分ける。
ところが大阪は違った。東京にいる頃、中国人と仲良くなって横浜の中華街にいたこともあり、なぜか外国人の方が、わたしには相性がいいことがわかっていた。そこに被差別部落の人たちが重なった。わたしがかかわる人たちはみんな本音で話す人が多い。わたしは日本人で加害者側に位置する。そして、この人たちと対等に近い立場を探して「釜ヶ崎日雇い労働者」になった。
よみがえってきた在日コリアンとの思い出
連れ合いの中野マリ子の友人も詩人の金時鍾をはじめとして在日が多い。彼女も日本人が嫌いだった。そこで詩人の宗秋月と出会う。筑豊で生まれ猪飼野にたどり着いた宗秋月はわたしに「猪飼野」を教えてくれた。「民族文化祭」「オモニハッキョ(オモニは母、ハッキョは学校)」そして「ポシンタン(犬汁)」。オモニハッキョでは日本語教師としては何の役にも立たなかったが、踊ることの楽しさをオモニたちから教わった。眺めてると「兄ちゃん踊らなあかん」と手を引っ張って踊りの輪に引き込まれた。
「北風アウトサイダー」はわたしの知ってる在日の世界を再現してくれた。暴力の多い世界もそうせざるを得なかった現実がきちんと描かれている。観てるうちに涙が出てきた。
この涙は何だろう。
最近映画を観て泣くことが少なくなってきたわたし。在日コリアンの生きざまが、まざまざととよみがえり、わたしに涙をにじませたのだろう。
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