【人権を守るべきはだれだ!?①】入管問題と法務省 「人権週間」から考える     文箭祥人(月刊風まかせ編集メンバー)

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今年3月6日、名古屋入管でスリランカ人ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった。入管内に設置された監視カメラの映像の一部が遺族や弁護士に開示され、映像をみた弁護士のコメントが新聞報道されている。

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呼びかけても反応なし……入管は医療対応せず

「3月3日、入管職員がウィシュマさんの口に食べ物を含ませるが、すぐに吐いてしまう。間を置かずに『はい、次』と職員が言って食べさせる。また吐いてしまう。食べるのが難しい状態なのに食べさせようとしていた」

「3月5、6日、職員が目の前で手を振り、名前を呼んでも反応がない。上半身を起こしても首がすわらない。なのに職員は救急車を呼ばなかった」

ウィシュマさんの命が危険な状態であるのは明らかだったが、入管は医療対応をしなかった。

5月に行われた入管問題に関する記者会見の映像がユーチューブにあがっていて、駒井知会弁護士が次のように話している。

「法務省が、入管が、国際人権法さえ守っていたら、ウィシュマさんは今日も生きて明るい笑顔を見せてくれていたかもしれません」

「人権週間」法務省が市民に「人権を守りましょう」と呼びかけ

法務省は12月4日から10日までを「人権週間」と定め「人権を守りましょう」と呼びかける。12月10日は世界人権宣言が採択された日付だ。法務省は「人権週間」について、HPに次のように書いている。

「全国的に人権啓発活動を展開し、人権尊重思想の普及高揚を呼びかけています」

「私たち一人一人が人権尊重の重要性を改めて認識し、他人の人権に配慮した行動を取ることが大切ではないでしょうか」

「この機会に、人権について改めて考えてみませんか」

「人権週間」は1949年に始まり、今年で第73回を数え、今年のキャッチコピーは<「誰か」のことじゃない>

駒井弁護士の「法務省が、入管が、国際人権法さえ守っていたら…」の言葉、「人権週間」で法務省が市民に対して呼びかける‘人権を守りましょう’の言葉。これらをみると、人権を守るのは市民であって、法務省は市民を教育する立場だ、という構図になっているのではないかと、疑問を感じた。世界人権宣言が対象にしているのは「すべての市民とすべての国」だ。

そこで、法務省と大阪府に「人権尊重高揚に関する自らの組織内での取り組み」を問う質問書を送った。しかし、法務省人権擁護局も大阪府府民文化部人権局も、回答期限になっても回答しなかった。法務省や大阪府が自らの人権意識を高めるために何をしているのか、知りたかったが、わからなかった。回答を求め続ける。

「入管問題」取り上げない法務省の「人権の擁護」冊子

大阪市内の図書館で人権について調べていると、法務省が作成した冊子が展示されているのに気付いた。それは、法務省人権擁護局が今年8月に発行した「人権の擁護」というタイトルの冊子。手にして見てみると、「我が国でどのようなことが主な人権課題として取り上げられているか等について説明します」とあり、17の「主な人権課題」が示されている。

しかし、「入管問題」は取り上げられていない。

17の課題は「女性~性犯罪・性暴力・DV・ハラスメント~」「子ども~いじめ・体罰・児童虐待・性被害~」「高齢者」「障害のある人」「部落差別」などだ。

法務省は「入管問題」が主な人権課題だという認識を持っていないと言うしかない。法務省の人権意識への疑問は深まる。

悲惨な戦争の教訓から世界人権宣言は生まれた

世界人権宣言は、すべての市民とすべての国とが達成すべき共通の人権基準として、1948年12月10日、国連で採択された。第2次世界大戦の反省から生まれた宣言だ。

宣言が生まれて2年後に発行された、国際法の権威と言われた田畑茂二郎の「世界人権宣言」(1951年、弘文堂)が図書館に所蔵されている。そこに、世界人権宣言誕生の背景が記されている。

<第二次世界大戦の勃発する以前および戦争中にかけて、ドイツやイタリー、日本といった諸国家において人権が著しく傷つけられたといった事情が連合国を強く刺激した>

日本はアジア・太平洋地域の人々に重大な人権侵害にあたる深刻な被害をもたらした。住民虐殺、生体実験、従軍慰安婦、強制連行、強制労働……

<ドイツやイタリー、日本の全体主義諸国家が戦争を引き起こした事実から、国内において人権や基本的自由が抑圧されているような政治体制をとる国家は戦争への危険性を多分にはらんでいるといった点がこれまでにもまして強く痛感された>

<人権擁護が連合国の共通の戦争目的としてハッキリと認められたことに注目しなければならない>

連合国が全体主義諸国家に勝利し、人権の原則を確立する必要があることから世界人権宣言は誕生した。

とりわけ、ナチス・ドイツが行ったホロコーストを二度と繰り返してはならないという歴史的な反省が宣言誕生に強くはたらいた。

世界人権宣言の条文

世界人権宣言は世界の人権における第一歩というべきもので、宣言採択後、国連で多くの人権条約が定められ、市民一人一人の人権は国際社会によって守られようになっていく。世界人権宣言に掲げられているいくつか条文をピックアップしたい。

<第3条 すべての人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する>

<第5条 何人も、拷問又は残酷な、非人道的なもしくは屈辱的な取扱いもしくは刑罰を受けることはない>

<第6条 すべての人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する>

<第7条 すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する>

<第18条 すべての人は、思想、良心および宗教の自由に対する権利を有する>

<第19条 すべての人は、意見および表現の自由に対する権利を有する>

<第22条 すべての人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有する>

<第23条 すべての人は、勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤務条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する>

<第24条 すべての人は、労働時間の合理的な制限及び定期的な有給休暇を含む休息及び余暇をもつ権利を有する>

<第25条 すべての人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利及び失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する>

<第26条 すべての人は、教育を受ける権利を有する>

法務省が、入管が、世界人権宣言第3条をしっかり守っていたなら、ウィシュマさんは亡くならなかった。

独立した人権機関が存在しない日本

日本政府が市民一人一人の人権を擁護しているのか、をチェックする独立した機関は日本に存在しない。他方、130か国には、政府から独立した国内人権機関が設置されていて、その国々の人権状況がチェックされている。

国内人権機関は、1993年に国連総会で採択された国家人権機関の地位に関する原則に基づく。その国の人権状況をその国固有の人権観ではなく、人権条約など世界共通の基準に照らして評価し、政府に必要な是正を勧告する政府から独立した機関だ。収容所や児童養護施設、刑務所など公的施設の視察・調査も行う。日本に国内人権機関が設置されていれば、名古屋入管も視察の対象になり、ウィシュマさんの事件は起こらなかっただろう。

日本はこの機関を設置するよう国連から再三、勧告を受けている。しかし、いまだ実現されていない。

世界人権宣言は、国が達成すべき国際的な人権基準でもある。しかし、現状をみると、政府は、国際基準を達成しようと真剣に考えていないではないか。「人権週間」を政府を監視する期間としたい。(つづく

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