デスクが仕込み「祇園山鉾絵図」夕刊飾る
「斎藤特ダネ旋風」はその後も続いた。なんだかんだ言っても、斎藤デスクの全国版記事、それも一面や社会面トップ記事に対する執念は凄まじいものだった。それは、新聞記者の先輩として、学ぶことは多かった。ただ、そのやり方については、??と首をかしげることもあった。好調京都支局にも、それが少しずつ影を落としていたのだが、まだ誰も気づいていなかった。
古都の夏は祇園祭だ。斎藤デスクは当然、この日本を代表する祭りにも仕掛けを考えていた。京の暑い夏が近づいた5月下旬、斎藤デスクに呼び出された。グラフィックデザイン専門の大阪芸術大学教授が、祇園祭の山鉾(やまぼこ)31基を正確に表現した「祇園祭山鉾絵図」を完成させた。簡単な取材だった。この教授を訪ねれば、すべて揃っていた。6月初旬の夕刊第二社会面トップに大きく掲載された。さらに、驚いたことに数日後に、このデザイン31基すべてが夕刊の別面に全てカラー写真で掲載された。これも、斎藤デスクのアイデアだ。
動物になって自由に吠える「人間動物園」
もう一つ、びっくりしたのが、「人間動物園」。これも斎藤デスクの知り合いからの情報だろう。「機械に支配されるハイテク時代、みんなが肩書をはずし、動物になって自由に吠えよう――という<人間動物園>づくりが、京都市のコピーライターによって進められ、同市郊外に鉄筋コンクリートの『園舎』が完成、14日、入園希望者が集まってオープニングセレモニーを行う」。斎藤節だ。はっきり言って臭い。しかし、なんとなく、斎藤デスクが地方版ではなく、全国版の夕刊に載せたい、と思う気持ちもわからなくはない。と言っても、一応筆者の記事なので、最も軽い支局長賞(5000円)をいただく。
花形・社会部へ怨念募らすベテラン記者
ここで、当時の読売新聞大阪本社の勢力分布を紹介しよう。少し七面倒臭い話だが、今後の話の展開に絡み、ぜひ、理解してほしいことなので、しばしご辛抱を。
大阪読売の花形は社会部だ。それに対抗するのが、神戸支局や京都支局を統括する地方部。ほとんどの記者はまず、この地方部が統括する総・支局に配属される。そこから、社会部、科学部、文化部、運動部、経済部、婦人部(昭和60年当時)に上がって、自分の好きな原稿を書きたいと願い、夢が叶えば、希望する部署に転勤する。しかし、そうそう希望通りに行けないのが世の常だ。
筆者が入社した昭和50年代から、60年代にかけて大阪読売に入った記者たち(同期には女性記者はおらず、1年上に2人、2年下に2人、オール大阪読売で女性記者は8人くらい)はほぼ全員が社会部を目指していた。しかし、いくら150人の大所帯・社会部でも、希望者全員が社会部に配属されない。必然的に社会部には行けないが、地方部に必要な人材もいた。それが新聞社独特のアイロニーを生む。これは読売だけではなく、朝日や毎日、産経にもあるだろう。
そこでは、社会部に対する地方部の“怨念”みたいなものが澱のように存在する。ある人はそれを「近親憎悪」と表現する。神戸や京都には、そうした澱のような人材が多く存在した。特に、京都にはそういう記者たちがたくさんいた。宗教担当20年とか文化担当25年とかといった、読売京都を支えるベテラン記者たちだ。
黒田軍団崩壊がもたらした「特ダネ攻勢」
黒田軍団の記者たちは大阪読売のスターだったが、軍団が崩壊して地方支局に飛ばされたから、当たり前だが大きな地殻変動を起こした。その大きな変動の一つが、京都で斎藤デスクが起こした「特ダネ攻勢」だった。逆に言えば、地方部のデスク、記者たちのやり方はある意味でオーソドックスであり、斎藤デスクのような一種強引ともいえる紙面づくりは、疎まれた。だから、徐々にその綻びが出て来た。
「古都税」に寺社反発、清水寺など拝観停止
その頃、京都は大きな問題を抱えていた。古都税問題だ。京都は言わずと知れた、全国のお寺の総本山が集積している宗教王国だ。東西本願寺をはじめとして、浄土宗系、臨済宗系その他宗派のほとんどの本山がある。清水寺、金閣、銀閣寺など有名観光寺院も目白押し。ある試算によると、清水寺の2005年の拝観者総数は1045万人、当時の拝観料が大人300円で計算すると、拝観収入だけで30億円となる。ちなみに金閣寺は22億円、銀閣寺は26億円とか。これに、財政難にあえぐ京都市が目を付けないはずはない。
基本的にお寺などの収入には税金がかからない。宗教法人法で守られているからだ。ある調査によると、全国に宗教法人は18万余りあるといわれている。信教の自由を守るために1951年に制定された法律だが、問題は今でも多い。
古都税は、正式には「古都保存協力税」で、1985年(昭和60)から1988年(昭和63)の4年間で、市内の文化財の保存整備推進のために徴収しようという法定外普通税である。市内40社寺の文化財の鑑賞に対して課税され、1人1回に付き50円が寺社を通じて徴収されるというものだ。
当然、寺社側は「信教の自由を犯す行為だ」と猛反発した。
京都市の今川正彦市長(故人)は1985年6月7日にいったんは、古都税導入を10月まで延期すると表明したが、数日後、態度を豹変させて7月10日から実施すると発表した。京の街は騒然となった。8月に実施される京都市長選に絡み、様々な駆け引きが水面下で行われた結果、京都市側と京都仏教会の利害が一致しなかったようだ。
結局、工事中などの3寺院を除く対象37寺院のうち、協力金方式の4寺院を含む竜安寺など18寺院が税に協力し、反対を表明している京都仏教会の清水寺や金閣、銀閣寺などの18寺院は、課税対象外となる無料拝観に突入するなど古都税は混迷のまま強行された。しばらくして清水、金閣、銀閣のビッグ3が拝観停止に踏み切るなどしたが、これも、市長選直前の8月8日に仏教会側が協力金方式を受け入れ、急転和解する。
しかし、後にわかるのだが、これは古都税ドタバタ劇の第1ステージにすぎなかった。この紛争は、元々一枚岩ではない読売新聞京都支局の取材にも大きな影響を与え、そのチームワークに徐々に綻びが見え始め、大変な事態を招くことになるが、それはまた、後ほどに。
「京都五山」と呼ばれたフィクサーたち
ここで、古都京都とはどんな街なのか。今後の展開にとって極めて重要なので、ここでやや説明調になるが、お許しを。
「御池産業」、「釜座幕府」、「白足袋に逆らうな」。京都を知るための3つのキーワードである。御池産業とは河原町御池にある京都市役所であり、釜座通は豊臣秀吉が天正の地割で造った道であり、ここに京都府庁、京都府警など行政・司法の要所が集中していることから釜座幕府と呼ばれた。これに対して、白足袋は影の権力者たちである。かつて白足袋をユニフォームにしていた、お公家さん、茶人、花街関係者、僧侶、室町の商人たちであり、学者もその仲間かもしれないという。
この影の権力者たちに、ある時は寄生し、ある時は脅し、ある時は利用しながら暗然たる力を蓄えた人種が存在した(今も別の形で存在するかもしれない)。筆者が京都にいたころは、陰で「京都五山」と呼ばれた人たちだった。京都の街を囲む五つの山に譬えられた京都のフィクサーの呼び名だ。
最も有名だったのが元京都ファイナンス会長の山段芳春氏(故人)、次いで古都税問題でも登場した元京都仏教会顧問の西山正彦氏、元日本工業社長の大山進氏の3人はほぼ確定で、あと2氏は諸説ある。京都のジャーナリストが一度は対峙する謎の人物たちだ。
正直言って、筆者はこの方たちにインタビューしたことがない。わずかに、西山氏には共同記者会見の場で質問したことがあったが。こういう人物たちへの単独インタビューは、はっきり言って度胸がいる。筆者にはその度胸がない。それがいい記者になれなかった要因だ。
記者に必要なのは、度胸+詐欺師+人たらし
新聞記者にとって度胸以外に何が必要か? それは、一種、詐欺師であり、人たらし的な素養である。でないと、特ダネなんて取れない、と確信する。取材される側は、本当は話したくない、話せないことばかりを聞かれてる。君に話したい、話せることなんか、ないのだ。貝のように閉じた殻をこじ開けるには、そう簡単にはいかない。ある意味で、それまでの人生で学んだこと、身に着けたものを総動員して相手と対峙し、こじ開けなければ、特ダネなんて取れない。
その手口は後ほど、それぞれの取材で発揮されており、筆者が仄聞したことを徐々に披露するのでお楽しみに。その詐欺師+人たらしの記者は、これまで登場した中では、真田さん、上杉さん、現編集局長のMさん、斎藤デスクだろう。あっ、武部さんもかも。今後この連載であと数人出て来る。最も大物のご登場も、もうすぐだ!(つづく)
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